管理人の徒然
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今日はアンドレ・グランディエ氏のお誕生日です。
そして、1789年8月26日、フランス人権宣言が採択された記念すべき日でもあります。
今を生きる私たちは、人は皆平等であるという考えを当たり前のようにもっているけれど、
これは、人間の長い長い歴史の中では、本当にごく最近の考えなのです。
日本でも、女性が男性と同じ参政権を持つことができるようになったのは、わずか70年前。
嘘のように思えるけれど、本当の話。
人は生まれながらにして、自由であり、且つ、法の下、平等の権利を持つ。
今では当たり前に思えるこの思想を、私たちが手に入れるために、どれほどの犠牲が払われてきた事だろう。
今だって、不平等はたくさん存在する。
年齢や、性別や、財産の多寡や・・・・。
誰もが、自分の意思では生まれてこれない。
気が付いたとき、世界はすでにそこにある。
平和な世に、裕福な両親の元に生まれられる子供ばかりではない。
戦火の世に、極貧の両親の元に生まれる子供もいる。
それは、たぶん、偶然なのだ。
私は選んだわけではない。
誰も、選べない。
今、平和な日本に生きている幸せをありがたく思う。
だからこそ、山を均し、谷を埋めなければならないだろう。
この世にある山は高く、谷は深い。
たとえ一掴みの土であっても、山から谷へと運びたい。
わずかであっても、無駄のように思えても、
私が運ぶ一掴みの土は、
過去の誰かが運んだ一掴みの土と同じだから。
いつか、すべての子供たちが、この世に生まれたことを喜べるように。
大人が、土を運ばなければ!
子供たちが、大人になって、また、子供たちの為に、土を運ぼうと思えるように。
一掴みの土でもいい。
運ぶことをあきらめない人でありたい。
そして、1789年8月26日、フランス人権宣言が採択された記念すべき日でもあります。
今を生きる私たちは、人は皆平等であるという考えを当たり前のようにもっているけれど、
これは、人間の長い長い歴史の中では、本当にごく最近の考えなのです。
日本でも、女性が男性と同じ参政権を持つことができるようになったのは、わずか70年前。
嘘のように思えるけれど、本当の話。
人は生まれながらにして、自由であり、且つ、法の下、平等の権利を持つ。
今では当たり前に思えるこの思想を、私たちが手に入れるために、どれほどの犠牲が払われてきた事だろう。
今だって、不平等はたくさん存在する。
年齢や、性別や、財産の多寡や・・・・。
誰もが、自分の意思では生まれてこれない。
気が付いたとき、世界はすでにそこにある。
平和な世に、裕福な両親の元に生まれられる子供ばかりではない。
戦火の世に、極貧の両親の元に生まれる子供もいる。
それは、たぶん、偶然なのだ。
私は選んだわけではない。
誰も、選べない。
今、平和な日本に生きている幸せをありがたく思う。
だからこそ、山を均し、谷を埋めなければならないだろう。
この世にある山は高く、谷は深い。
たとえ一掴みの土であっても、山から谷へと運びたい。
わずかであっても、無駄のように思えても、
私が運ぶ一掴みの土は、
過去の誰かが運んだ一掴みの土と同じだから。
いつか、すべての子供たちが、この世に生まれたことを喜べるように。
大人が、土を運ばなければ!
子供たちが、大人になって、また、子供たちの為に、土を運ぼうと思えるように。
一掴みの土でもいい。
運ぶことをあきらめない人でありたい。
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今日、8月15日、日本は戦争に負けた。
ポツダム宣言の受諾とは、すなわち、日本が負けたということなのだ。
天皇自らが、それを国民にラジオで告げた。
戦争を終結させる理由をたくさん並べてある。
でも、戦争を始めたのは誰なのだろう?
大日本帝国憲法は第13条で「天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス」と規定していて、
つまりは、戦争を始める権利は天皇のものだったのだ。
軍部の暴走が止められなかったと言い訳しようとも、戦争を始める権利も、終わらせる権利も
天皇のものだった。
実際、天皇は70年前の今日、戦争を終わらせたのだ。
権利者が、その権利を有する意味を忘れてしまったら?
なし崩し的に、流されてしまったら?
現在の憲法では、主権在民、つまり、私たち国民が権利者なのだ。
誰でもない、私自身が、戦争を始めてはいけない!
戦争を始めようとする力を許さない!
そう固く思い定め、声を上げなければならないのだ。
戦争を始めたがっている人間をのさばらせてはいけない。
日本人は「なし崩し」に弱い。そのことを忘れてはいけない。
揺さぶりに負けてはいけない。
記憶が歴史になるとき、再び悲劇が起こる。
私の祖父はやさしい人だった。
でも、スマトラのジャングルで、人を殺した。
自分の命を守るために。
でも、徴兵されなかったら、祖父は人を殺めることなどなく、日々土を耕し、家族を愛しただろう。
祖母は、7年にもわたる、夫の不在を耐えなくてもよかっただろう。
戦争がなかったら、父は機銃掃射で友人を失わなくてもよかっただろう。
幼かった母は、空襲警報のサイレンにおびえなくてよかっただろう。
私たち日本国民は一人一人が主権者であることの意味を考えなければいけない。
誰かにゆだねてはいけない大事な事。
戦争を望まないなら、戦争を始めようとする人間を選んではいけない。
戦争を始めようとする政府を、許してはいけない。
なし崩しを狙う、決して前線に出ることのない人間を、見過ごしてはならない。
記憶を歴史にしてはいけない。
歴史は繰り返すのだ。
まだ、間に合う。
あの戦争を生きた人の声に、真剣に向き合おう。
彼らの涙と同じ涙を、私たちが流さずにすむように。
ポツダム宣言の受諾とは、すなわち、日本が負けたということなのだ。
天皇自らが、それを国民にラジオで告げた。
戦争を終結させる理由をたくさん並べてある。
でも、戦争を始めたのは誰なのだろう?
大日本帝国憲法は第13条で「天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス」と規定していて、
つまりは、戦争を始める権利は天皇のものだったのだ。
軍部の暴走が止められなかったと言い訳しようとも、戦争を始める権利も、終わらせる権利も
天皇のものだった。
実際、天皇は70年前の今日、戦争を終わらせたのだ。
権利者が、その権利を有する意味を忘れてしまったら?
なし崩し的に、流されてしまったら?
現在の憲法では、主権在民、つまり、私たち国民が権利者なのだ。
誰でもない、私自身が、戦争を始めてはいけない!
戦争を始めようとする力を許さない!
そう固く思い定め、声を上げなければならないのだ。
戦争を始めたがっている人間をのさばらせてはいけない。
日本人は「なし崩し」に弱い。そのことを忘れてはいけない。
揺さぶりに負けてはいけない。
記憶が歴史になるとき、再び悲劇が起こる。
私の祖父はやさしい人だった。
でも、スマトラのジャングルで、人を殺した。
自分の命を守るために。
でも、徴兵されなかったら、祖父は人を殺めることなどなく、日々土を耕し、家族を愛しただろう。
祖母は、7年にもわたる、夫の不在を耐えなくてもよかっただろう。
戦争がなかったら、父は機銃掃射で友人を失わなくてもよかっただろう。
幼かった母は、空襲警報のサイレンにおびえなくてよかっただろう。
私たち日本国民は一人一人が主権者であることの意味を考えなければいけない。
誰かにゆだねてはいけない大事な事。
戦争を望まないなら、戦争を始めようとする人間を選んではいけない。
戦争を始めようとする政府を、許してはいけない。
なし崩しを狙う、決して前線に出ることのない人間を、見過ごしてはならない。
記憶を歴史にしてはいけない。
歴史は繰り返すのだ。
まだ、間に合う。
あの戦争を生きた人の声に、真剣に向き合おう。
彼らの涙と同じ涙を、私たちが流さずにすむように。
恒例の夏の家族旅行に行ってまいりました。今年は下部温泉と身延山参り。
家族旅行もついに父夫婦と私の3人だけになってしまいました。子供たちが小さな頃は5人で動いていたのに、息子がいかなくなり、今年は娘も就職して行けなくなりました。かぴぱら氏は夏は仕事が忙しいので基本いませんから。
このところ、時期をお盆に合わせているので、高速を使わずに行けるところに行っています。一人で運転しても、高速に乗らなければ、結構気楽です。疲れたら、コンビニの駐車場や道の駅に停車して休めますしね。まあ、時間はかかりますが、高速代はかからないし、いろいろ寄り道もできるし、快適なんです。お盆だと、逆に下道は空いていたりします。
下部ホテルに泊まったのですが、かの石原裕次郎も贔屓にしていたそうで、なかなか素敵なホテルでした。透明なさらさらのお湯大浴場にはいろいろな浴槽があって楽しかったです。お食事もコースとバイキングの両方がセットになっていて、楽しめました。
二日目は身延山久遠時に参詣に。初めて行ったのですが、すごく立派なお寺でびっくりしました。
父の話によると、明治時代に伽藍がすべて焼け落ち、現在の建物は新しいものだとか。広い境内の建物すべてが焼けてしまったなんて、今では考えられませんが、昔は消防車があるわけでなし、一度火の手が上がれば、そういうことになってしまってもおかしくないのでしょうね。
実家に送り届けて、来年もまた一緒に旅行に行けるといいねって言い合いました。
一年、一年、父夫婦も年をとっていきますから、いつまで旅行に行けるわけではないと分かっています。でも、来年もまた温泉旅行にいけるように、体を労わって生きてくれることを、願うばかりです。
家族旅行もついに父夫婦と私の3人だけになってしまいました。子供たちが小さな頃は5人で動いていたのに、息子がいかなくなり、今年は娘も就職して行けなくなりました。かぴぱら氏は夏は仕事が忙しいので基本いませんから。
このところ、時期をお盆に合わせているので、高速を使わずに行けるところに行っています。一人で運転しても、高速に乗らなければ、結構気楽です。疲れたら、コンビニの駐車場や道の駅に停車して休めますしね。まあ、時間はかかりますが、高速代はかからないし、いろいろ寄り道もできるし、快適なんです。お盆だと、逆に下道は空いていたりします。
下部ホテルに泊まったのですが、かの石原裕次郎も贔屓にしていたそうで、なかなか素敵なホテルでした。透明なさらさらのお湯大浴場にはいろいろな浴槽があって楽しかったです。お食事もコースとバイキングの両方がセットになっていて、楽しめました。
二日目は身延山久遠時に参詣に。初めて行ったのですが、すごく立派なお寺でびっくりしました。
父の話によると、明治時代に伽藍がすべて焼け落ち、現在の建物は新しいものだとか。広い境内の建物すべてが焼けてしまったなんて、今では考えられませんが、昔は消防車があるわけでなし、一度火の手が上がれば、そういうことになってしまってもおかしくないのでしょうね。
実家に送り届けて、来年もまた一緒に旅行に行けるといいねって言い合いました。
一年、一年、父夫婦も年をとっていきますから、いつまで旅行に行けるわけではないと分かっています。でも、来年もまた温泉旅行にいけるように、体を労わって生きてくれることを、願うばかりです。
今日は一時帰国中の息子を連れて実家へ。墓参りをしながら、我が家の歴史を少し聞かせておきました。ご先祖様があってこそ、私たちがいるわけですからね。なかなか伝える機会もないので。
そして久しぶりに爺と孫息子のご対面。まあ~、爺と孫、そっくりです。
特に骨格が。手指の形は瓜二つ。遺伝子って恐ろしいです。
爺様は久しぶりの孫息子の訪問を大歓迎。たくさんのごちそうを用意してくれました。
爺様と孫、ともにお酒が大好き。杯を重ねながらいろいろおしゃべりをして楽しく談笑。
爺様は今年85歳とは思えぬ元気さです。カラオケで95点出したと喜んでいました。
母が亡くなって早20年。一日でも元気で長生きしてもらいたいです。
そして久しぶりに爺と孫息子のご対面。まあ~、爺と孫、そっくりです。
特に骨格が。手指の形は瓜二つ。遺伝子って恐ろしいです。
爺様は久しぶりの孫息子の訪問を大歓迎。たくさんのごちそうを用意してくれました。
爺様と孫、ともにお酒が大好き。杯を重ねながらいろいろおしゃべりをして楽しく談笑。
爺様は今年85歳とは思えぬ元気さです。カラオケで95点出したと喜んでいました。
母が亡くなって早20年。一日でも元気で長生きしてもらいたいです。
今日は大手町にある日経ホールで開催された尾上菊之助さんの舞踊公演を見に行きました。
演目は「北洲」と「鷺娘」の2つ。歌舞伎は今まで数回しか見たことがないのですが、最近とても興味を持っています。チャンスがあれば見るようにしています。今回はいつも遊んでくれる某嬢がチケット手配をしてくれました。
五代目尾上菊之助さんの端正な姿に、まず感動!本当になんてお美しい方なんでしょう。紋付の着物に袴姿なのですが、ああ~、和装こそが日本人の6~7頭身の体を最も美しく見せる衣装なんだと感じ入りました。最初の演目は袴姿で踊られましたが、一人で老若男女さまざまな人物を踊り分けられていて、素晴らしかったです。体幹がびしっと決まっていて、すべての所作が自然にあるべきように決まっているっていうのを感じました。長い時間厳しい鍛錬を積んでこその技術なのでしょうねえ。
「鷺娘」は娘姿での踊りですが、これまた本当に美しいの一言に尽きます。雪景色のなか、白い振袖に黒い帯、白い帯締め、少しくすんだ藤色の半襟、袖の振りから真っ赤な長じゅばんがちらちらと見えて、なんとまあ、美しいこと!男性が演じているとは思えない、可憐な姿。途中何度も衣装が変わり(引き抜き)その都度の驚きにぐいぐい舞台に引きつけられました。最後のシーンは降りしきる雪の中、鷺の精が絶命していく姿なのですが、バレエの瀕死の白鳥のように、はかなくも壮絶な舞姿に、息をつめて見入ってしまい、正味1時間の公演にも関わらず、3時間の舞台を見たような疲労感を感じてしまいました。
日本が誇る美の世界だなあ・・・・。日本人の美意識をこれからも守って欲しいと思うし、守っていく為にも、舞台を見に行くって大事かもしれないと思いました。
演目は「北洲」と「鷺娘」の2つ。歌舞伎は今まで数回しか見たことがないのですが、最近とても興味を持っています。チャンスがあれば見るようにしています。今回はいつも遊んでくれる某嬢がチケット手配をしてくれました。
五代目尾上菊之助さんの端正な姿に、まず感動!本当になんてお美しい方なんでしょう。紋付の着物に袴姿なのですが、ああ~、和装こそが日本人の6~7頭身の体を最も美しく見せる衣装なんだと感じ入りました。最初の演目は袴姿で踊られましたが、一人で老若男女さまざまな人物を踊り分けられていて、素晴らしかったです。体幹がびしっと決まっていて、すべての所作が自然にあるべきように決まっているっていうのを感じました。長い時間厳しい鍛錬を積んでこその技術なのでしょうねえ。
「鷺娘」は娘姿での踊りですが、これまた本当に美しいの一言に尽きます。雪景色のなか、白い振袖に黒い帯、白い帯締め、少しくすんだ藤色の半襟、袖の振りから真っ赤な長じゅばんがちらちらと見えて、なんとまあ、美しいこと!男性が演じているとは思えない、可憐な姿。途中何度も衣装が変わり(引き抜き)その都度の驚きにぐいぐい舞台に引きつけられました。最後のシーンは降りしきる雪の中、鷺の精が絶命していく姿なのですが、バレエの瀕死の白鳥のように、はかなくも壮絶な舞姿に、息をつめて見入ってしまい、正味1時間の公演にも関わらず、3時間の舞台を見たような疲労感を感じてしまいました。
日本が誇る美の世界だなあ・・・・。日本人の美意識をこれからも守って欲しいと思うし、守っていく為にも、舞台を見に行くって大事かもしれないと思いました。