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管理人の徒然
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今日のAさんの庭とランチ。キーマカレーにお豆腐とチーズが入っています。これが絶品なんです!!サフランライス大好き~♪デザートは、バナナヨーグルト。ブルーベリーソースがけ。

今日も2時間残業。やってもやっても終わらない仕事・・・・。8時に退社したけれど、別のフロアではまだ仕事している人がたくさんいました。

下の娘が希望の大学に進学し、子育てが一段落して一念発起というか、今までの子育て期間中、支えてくれた同僚達に少しでも恩返ししたいという気持ちと、きちんと仕事をやりぬきたいという気持ちが出てきました。子育てをし損じたら自分にとってもマイナスだし、社会にとってもマイナスだから、とにかく子供達が目途がつくまではと軸足はいつも子育てに置いて来ました。

欲しくて欲しくてたまらなくて産んだ子供達。可愛くて可愛くて、本当に舐めて育てました。どんなに親ばかと言われても、子供達が世界で一番可愛いと思っていました。息子は産休明けから、娘も生後5カ月から保育園に預けてましたけど、家にいる時間のほぼ全てを子供達の為に使いました。毎晩絵本を読み聞かせ、休みの日も遠出はできないものの、近所の動物公園やプール、親子劇場の公演や音楽会などにも連れて行きました。保育園の役員も学童の役員も小学校の役員も住んでいた団地の子供会の役員も全部やりました。中学校受験、高校受験のサポートも可能な限りやりました。悔いのない子育てなどないと思いますが、自分でできる限りの事はやりつくしたので、もうこれ以上子供に対して何かをする必要はないと思っています。私も親に大学に行かせてもらったので、子供達に大学までの学費をなにがあろうと保障してやるつもりです。それから先は、もう彼ら自身が自分の人生に責任を持って生きていくことを期待しています。子供とは言え、私とは全く違う人間であり、私が死んだあとにも、彼らは生きていかなければなりません。

子育てから離れて、今、自分は何をするべきだろうか?と考えます。子育てとの両立の為、仕事に対していつも50%~70%の力しか入れていなかったように思います。トータルとして、その比重は私にとって正解だったと思っています。仕事に100%を出してしまったら、子供達を育てあげることはできなかったと思います。
それでも、子育てにも仕事にも100%注力できないことへの忸怩たる思いをいつも抱えていました。子育てもしくは仕事に100%力を注ぐことができたらなら・・・、と何度も考えました。しかし、その度にどちらを選んでも、自分は満足できない人間なんだと思いました。何故だかわかりませんが、割り切ることができなかったのです。それが、自分という人間なんだと最近やっと気づきました。仕事も子育てもやりたかったことなのです。子育てが一段落して、家庭と仕事の比重が逆転してきています。では、子供達の事が頭から無くなったかというとそうではありません。

彼らが生きていく社会を少しでも良くしていきたいと思います。大したことはできないでしょう。でも、きちんと仕事をすることで、社会に少しでもいいから貢献できたらいいと思います。直接にではなく、間接的に自分の子供が生きていく社会に関わっていけたら・・・。子供に直接の恩恵を与えることだけが、子供の為を思うことではないと思います。むしろ遠回りに薄く薄く、私の存在など感じないように。そのほうが、子供達は自由に生きられます。

私は母親に溺愛されて育ったと思っています。傍からみたら、決してそんな風に見えたりしなかったでしょう。でも、私自身が私ほど母に愛された子供は無いと感じています。なんと幸せなことでしょう。私は決して親から見たら良い子ではなく、むしろ育てにくく、気苦労ばかりかけた子供でした。それでも、私が私であることを否定せず、育ててくれた母が今も大好きです。

母が亡くなってからもう15年以上になるでしょうか。母を看取ったのは私だけでした。父も姉も間に合わず、私だけが母の最後の瞬間を知っています。人が死ぬと言うこと、どんなに愛していても、別れが来るのだということを、母は身を持って私に教えてくれました。社会の中で生きる厳しさを教えてくれたのも母でした。人を愛することのむずかしさと、素晴らしさを教えてくれたのも母でした。欠点がない人ではありません。むしろ、たくさんの欠点を持っていたと思います。それでも、私にとって最高の母親で、目標となる人です。

私が母が亡くなった年になるまであと数年です。私を信じて母が背中を押してくれたように、私も子供達の背中を押してやりたい。親の元にいつまでもとどまってはいけない。自由に自分の足で歩いていくんだと・・・。その為には、私が一人の人間としてちゃんと立っていなければいけないと思うのです。私の母がそうであったように。

息子は手探りながらも、自分の夢の方向性を掴もうとしだしました。危なっかしくても、彼自身に任せていかなければならないでしょう。

娘は、息子よりずっと大人で、それだから逆にもっと自分を出していっていいんだと
言ってやらなければなりません。

最近、家のなかで、自分の事を、「おかあは・・・」と言わなくなりました。「私は・・・」と自然に言えるように変わってきました。

子供達が私を超えていく日が待ち遠しいです。彼らが自分の足で歩きだすとき、私は笑って見送れる母になりたい。おかあに負けてなるものかと思われるような母でありたい。

まだまだ、頑張らないといけません。





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