管理人の徒然
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今週は日曜から金曜まで6日連続出勤&毎日2時間以上の残業というハードスケジュールでございました。毎日事務所の鍵閉めをして帰宅するのは、やっぱりうらさびしい気分になりますねえ。それでも、仕事は次々湧いてきて、週明けにはまた書類処理と電話かけが待っているのだろうなあ・・・・。
この春勤続25年となりましたが、仕事は本当に奥が深いです。同僚をみていても、「仕事」に対する考え方は本当に様々です。同じような仕事を与えられても、その仕事ぶりはいろいろ。自分なりに工夫して効率を追求する人もいれば、教えられた通りの事から1ミリたりともはみ出さないという人もいるし、自分の仕事を他人に振り分けて知らんぷりする人もいるし。仕事ぶりをみていると、その人の人となりが見えてきます。振り返って、自分自身はどうだろう?と反省したりもします。
雇われの身だし、時間を切り売りしているに過ぎないのかもしれないけれど、仕事の向こうに社会があると思うと、何かしら自分なりにできる事を探したくなってしまいます。
「どのように稼ごうと、お金はお金」
そう言ってはばからない人がいます。でも、出来る事なら、自分の仕事が誰かの為になったり、喜ばれたりするものであって欲しいじゃないですか。未来に向かって何かが残せる仕事がしたいじゃないですか。胡麻粒のようなものであっても、確かになにか自分の行為によって変化したって事が欲しいじゃないですか!
自己満足と言われてしまえばそれまでなんですけどね。
仕事をしていれば、嫌な事も沢山あります。組織が大きくなれば、それぞれの立場のぶつかりあいだってあります。足元、目先の心地良さだけを求めるなら、日光のお猿トリオになるしかない。でも、お猿トリオに私はどうもなれそうもありません。なれないから、自分で仕事をつくって、背負って、結果を出していくしかないんでしょうね。勿論、他人に自分の考えを押し付ける事はできないし、自分もまた他人に倣う必要もない。自分自身の仕事に対する姿勢の問題です。
半世紀も生きていれば、両手両足の指を使っても足りないくらい失敗も後悔もありますが、反省できても、過去は変えられない。「あの時、違う道を選んでいたら・・・」そう思ったって、もう「あの時」に戻れない。だとしたら、今から変えて行く以外なにができるでしょう?未来は仮定でしかなく、現在の選択の積み重ねが過程になり、結果が生まれ、それが過去の成功にも失敗にもなっていく。どんなに慎重に選んでも、それが失敗になってしまう事があるかもしれない。でも、失敗で終わらせるか、そこから、成功への教訓を引き出すかは自分次第。死んでしまったら、もう、失敗すらできなくなってしまう。
「生きているうちが花」とはよく言ったものです。
明日は、母の墓参りに行きます。
美人で賢くて優しい母が大好きだったけれど、夫と子供の為にだけ生きたような人生ははたして幸せだったんだろうか?後悔はなかったのだろうか?と不肖の娘は思ってしまいます。怖くて聞けなかった問いの答えは、あの世に行って会ったときに聞いてみるしかありません。だから、あの世はあってくれないと困るんですよね・・・・。
残業まみれで、家の中はぐちゃぐちゃで、腰は痛いし、目はしょぼしょぼだし・・・。
でも、子供達に聞かれたら「お母さんは今が一番幸せ!!」って言います。明日何が起ころうとも、子供達は「お母さんは幸せだって言っていた。」と思えるじゃないですか。
自分の為だけじゃなく、子供達の為にも「今が一番幸せ!」な人生にしていかないといけないと思うんです。
大人になった子供に親としてしてやれる事は、もうそんな事ぐらいしかないかもしれません。自分も幸せになりたいし、それ以上に、子供達には幸せになって欲しいです。
来月には娘も20歳。子育ての一区切りがまたやってきます。
この春勤続25年となりましたが、仕事は本当に奥が深いです。同僚をみていても、「仕事」に対する考え方は本当に様々です。同じような仕事を与えられても、その仕事ぶりはいろいろ。自分なりに工夫して効率を追求する人もいれば、教えられた通りの事から1ミリたりともはみ出さないという人もいるし、自分の仕事を他人に振り分けて知らんぷりする人もいるし。仕事ぶりをみていると、その人の人となりが見えてきます。振り返って、自分自身はどうだろう?と反省したりもします。
雇われの身だし、時間を切り売りしているに過ぎないのかもしれないけれど、仕事の向こうに社会があると思うと、何かしら自分なりにできる事を探したくなってしまいます。
「どのように稼ごうと、お金はお金」
そう言ってはばからない人がいます。でも、出来る事なら、自分の仕事が誰かの為になったり、喜ばれたりするものであって欲しいじゃないですか。未来に向かって何かが残せる仕事がしたいじゃないですか。胡麻粒のようなものであっても、確かになにか自分の行為によって変化したって事が欲しいじゃないですか!
自己満足と言われてしまえばそれまでなんですけどね。
仕事をしていれば、嫌な事も沢山あります。組織が大きくなれば、それぞれの立場のぶつかりあいだってあります。足元、目先の心地良さだけを求めるなら、日光のお猿トリオになるしかない。でも、お猿トリオに私はどうもなれそうもありません。なれないから、自分で仕事をつくって、背負って、結果を出していくしかないんでしょうね。勿論、他人に自分の考えを押し付ける事はできないし、自分もまた他人に倣う必要もない。自分自身の仕事に対する姿勢の問題です。
半世紀も生きていれば、両手両足の指を使っても足りないくらい失敗も後悔もありますが、反省できても、過去は変えられない。「あの時、違う道を選んでいたら・・・」そう思ったって、もう「あの時」に戻れない。だとしたら、今から変えて行く以外なにができるでしょう?未来は仮定でしかなく、現在の選択の積み重ねが過程になり、結果が生まれ、それが過去の成功にも失敗にもなっていく。どんなに慎重に選んでも、それが失敗になってしまう事があるかもしれない。でも、失敗で終わらせるか、そこから、成功への教訓を引き出すかは自分次第。死んでしまったら、もう、失敗すらできなくなってしまう。
「生きているうちが花」とはよく言ったものです。
明日は、母の墓参りに行きます。
美人で賢くて優しい母が大好きだったけれど、夫と子供の為にだけ生きたような人生ははたして幸せだったんだろうか?後悔はなかったのだろうか?と不肖の娘は思ってしまいます。怖くて聞けなかった問いの答えは、あの世に行って会ったときに聞いてみるしかありません。だから、あの世はあってくれないと困るんですよね・・・・。
残業まみれで、家の中はぐちゃぐちゃで、腰は痛いし、目はしょぼしょぼだし・・・。
でも、子供達に聞かれたら「お母さんは今が一番幸せ!!」って言います。明日何が起ころうとも、子供達は「お母さんは幸せだって言っていた。」と思えるじゃないですか。
自分の為だけじゃなく、子供達の為にも「今が一番幸せ!」な人生にしていかないといけないと思うんです。
大人になった子供に親としてしてやれる事は、もうそんな事ぐらいしかないかもしれません。自分も幸せになりたいし、それ以上に、子供達には幸せになって欲しいです。
来月には娘も20歳。子育ての一区切りがまたやってきます。
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