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管理人の徒然
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今朝早く、空港バスに乗る娘をもより駅まで送って行きました。2年前は空港の税関ゲート前まで送っていったのになあ・・・・。一人でさっさとバスに乗り込んで、窓から手を嬉しそうに振って行ってしまいました。子供はどんどん成長していくんです。

そのあとだらだらと洗濯と掃除を済ませ、受付時間ぎりぎりを見計らい眼科に行きました。今日はいつもの女医さんではなくて、若い男の先生でした。うーん、やっぱり女医さんの方が嬉しいなあ。旦那以外の男性は苦手なんですよね。仕方ないから我慢しますけど。

前回受けた検査は、周辺視野の検査でした。最初に受けたのは視野の中央部分の検査だったそうです。右目はやっぱりかなり進んでいるんですね。日常生活で不自由はほとんど感じていないんですけど、周辺部はぐるりと見えてませんでした。左目も、中央部はほとんど大丈夫だったのですが、周辺部はやはり少しすすんでいました。半年おきぐらいに検査しながら、様子を見ていくしかないようです。

娘がいないから夕飯は適当に・・・と思っていたら、息子が早々に帰ってきました。そういえば昨日レポートの山場を超えたと言っていたっけ。それにしても、理系学部って大変ですねえ。レポートの数と枚数が笑っちゃうくらい多い。私は文系だったから想像つきません。枕みたいに分厚い本とか読んでいるので一瞬広辞苑でも読んでいるのかと思ったら、そうじゃなくて「細胞の分子生物学」って本でした。

「面白いの?」と聞いたら「うん!とても!おかあも読む?」と返事が返ってきました。

「結構です。読んでもわかりませんから。」

「面白いのに~。」

そうですか、そりゃあよかったですね。ザリガニ100匹取ってきてみたり、カブトムシやらクワガタを夜中にとりに取りに行った延長線上に、相変わらず君はいるわけですね。はいはい。




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お庭のプランター



今日は豚肉のチーズと青紫蘇のはさみ揚げ、付け合わせに南瓜・茄子・オクラ、ピーマン。線キャベツ・きゅうり。豆腐と玉ねぎとしめじのお味噌汁



デザートは野菜チップス。

今週はAさんのところに通いつめてしまいました。だって、美味しいしヘルシーなんですもの。社食ならコーヒー付きで430円なんですけどね。味がのレベルが違いすぎなんです。社食も値段から考えたら十分美味しいんですけど、やっぱり大量生産のお味なんですよ。Aさんのランチは、極上のおうち御飯の味。

明日から一週間娘はかぴぱら氏のところへ行ってしまいます。もう何度か行っているので、不安はありません。今までは成田まで送っていっていましたが、今年は最寄り駅から出ている空港バスで一人で行かせます。チケット手配も、自分でやっていましたしね。だんだん、手が離れて行きます。明日は娘を送ったあと、眼科に検診に行きます。先日の検査の結果を聞くのがちょっと不安ですけど、真面目に薬は点眼しています。緑内障の目薬は、睫毛を長くするという噂があるのですが、本当なのでしょうか?睫毛が長くなった気配はないのですが、最近二重になりました。子供の頃は鑿で切りこんだような見事な一重だったんですけどねえ・・・。要するにこれって瞼の肉が落ちて、皺ができたって言うことなんでしょう。でも、二重って憧れだったから、ちょっと嬉しいかもしれません。どうせ眼鏡で隠れているし、一重で意味がないからとアイメイクなんでしたことないのですが、せっかく二重になったのだから、アイラインぐらい引いてみるか?なんて考えています。






Aさんの庭のピーマン。いずれ私の胃袋に収まるのか・・・・。



今日はチキンソテー、ラタトゥイユ添え。イタリアンパセリも自家栽培。



今日のデザートも豪華~。


今日も残業。家に帰りついたのは9時過ぎ。夏休みに入った娘が夕飯をつくっておいてくれました。気がきくなあ~と思ったら、かぴぱら氏の夏の赴任先に行く準備で買った洋服代を請求されました・・・。しっかり下心があったのね・・・。



今日もAさんのところでランチ。ミニチュアダックスのがっちゃん♪
とっても可愛い顔をしています。



今日は新玉ねぎときゅうりと茗荷のサラダ、豚バラ肉でまいた茄子の揚げ出し、かぼちゃ、お豆腐と玉ねぎの味噌汁。



茄子の揚げ出しが激うま~



今日のデザートは豪華です。お友達が持ってきてくれたアップルパイを出してくれました。Aさんのランチ食べたさに、毎日出勤しているようになっています。


水曜日はノー残業デーで、事務所は7時で閉められてしまいます。ぎりぎりまで仕事しました。とにかく、書類の上に書類が積み上がる状態です。組織再編で、営業部隊強化の為、専門性を高め対応力を持たせるように配置したら、はみ出した仕事がみんな私のところに回ってくるようになりました。ルーチンにのせにくい仕事というのは、ある程度経験があり、適当な判断ができて、他部署との繋がりが見えないとさばくのが難しいものですが、オバサンだからといってなんでもかんでも回さないで欲しいです。さすがに、私もオーバー・キャパ状態です。今月も30時間残業・・・。36協定で7月8月は30時間までOKってなっていますけどねえ・・・。来月も30時間というのは辛いなあ・・・。なにより、夜のお遊びにまでたどり着く前に、電池が切れてしまうのが・・・。

A君の誕生日もの、書けるんだろうか?








今日のAさんの庭とランチ。キーマカレーにお豆腐とチーズが入っています。これが絶品なんです!!サフランライス大好き~♪デザートは、バナナヨーグルト。ブルーベリーソースがけ。

今日も2時間残業。やってもやっても終わらない仕事・・・・。8時に退社したけれど、別のフロアではまだ仕事している人がたくさんいました。

下の娘が希望の大学に進学し、子育てが一段落して一念発起というか、今までの子育て期間中、支えてくれた同僚達に少しでも恩返ししたいという気持ちと、きちんと仕事をやりぬきたいという気持ちが出てきました。子育てをし損じたら自分にとってもマイナスだし、社会にとってもマイナスだから、とにかく子供達が目途がつくまではと軸足はいつも子育てに置いて来ました。

欲しくて欲しくてたまらなくて産んだ子供達。可愛くて可愛くて、本当に舐めて育てました。どんなに親ばかと言われても、子供達が世界で一番可愛いと思っていました。息子は産休明けから、娘も生後5カ月から保育園に預けてましたけど、家にいる時間のほぼ全てを子供達の為に使いました。毎晩絵本を読み聞かせ、休みの日も遠出はできないものの、近所の動物公園やプール、親子劇場の公演や音楽会などにも連れて行きました。保育園の役員も学童の役員も小学校の役員も住んでいた団地の子供会の役員も全部やりました。中学校受験、高校受験のサポートも可能な限りやりました。悔いのない子育てなどないと思いますが、自分でできる限りの事はやりつくしたので、もうこれ以上子供に対して何かをする必要はないと思っています。私も親に大学に行かせてもらったので、子供達に大学までの学費をなにがあろうと保障してやるつもりです。それから先は、もう彼ら自身が自分の人生に責任を持って生きていくことを期待しています。子供とは言え、私とは全く違う人間であり、私が死んだあとにも、彼らは生きていかなければなりません。

子育てから離れて、今、自分は何をするべきだろうか?と考えます。子育てとの両立の為、仕事に対していつも50%~70%の力しか入れていなかったように思います。トータルとして、その比重は私にとって正解だったと思っています。仕事に100%を出してしまったら、子供達を育てあげることはできなかったと思います。
それでも、子育てにも仕事にも100%注力できないことへの忸怩たる思いをいつも抱えていました。子育てもしくは仕事に100%力を注ぐことができたらなら・・・、と何度も考えました。しかし、その度にどちらを選んでも、自分は満足できない人間なんだと思いました。何故だかわかりませんが、割り切ることができなかったのです。それが、自分という人間なんだと最近やっと気づきました。仕事も子育てもやりたかったことなのです。子育てが一段落して、家庭と仕事の比重が逆転してきています。では、子供達の事が頭から無くなったかというとそうではありません。

彼らが生きていく社会を少しでも良くしていきたいと思います。大したことはできないでしょう。でも、きちんと仕事をすることで、社会に少しでもいいから貢献できたらいいと思います。直接にではなく、間接的に自分の子供が生きていく社会に関わっていけたら・・・。子供に直接の恩恵を与えることだけが、子供の為を思うことではないと思います。むしろ遠回りに薄く薄く、私の存在など感じないように。そのほうが、子供達は自由に生きられます。

私は母親に溺愛されて育ったと思っています。傍からみたら、決してそんな風に見えたりしなかったでしょう。でも、私自身が私ほど母に愛された子供は無いと感じています。なんと幸せなことでしょう。私は決して親から見たら良い子ではなく、むしろ育てにくく、気苦労ばかりかけた子供でした。それでも、私が私であることを否定せず、育ててくれた母が今も大好きです。

母が亡くなってからもう15年以上になるでしょうか。母を看取ったのは私だけでした。父も姉も間に合わず、私だけが母の最後の瞬間を知っています。人が死ぬと言うこと、どんなに愛していても、別れが来るのだということを、母は身を持って私に教えてくれました。社会の中で生きる厳しさを教えてくれたのも母でした。人を愛することのむずかしさと、素晴らしさを教えてくれたのも母でした。欠点がない人ではありません。むしろ、たくさんの欠点を持っていたと思います。それでも、私にとって最高の母親で、目標となる人です。

私が母が亡くなった年になるまであと数年です。私を信じて母が背中を押してくれたように、私も子供達の背中を押してやりたい。親の元にいつまでもとどまってはいけない。自由に自分の足で歩いていくんだと・・・。その為には、私が一人の人間としてちゃんと立っていなければいけないと思うのです。私の母がそうであったように。

息子は手探りながらも、自分の夢の方向性を掴もうとしだしました。危なっかしくても、彼自身に任せていかなければならないでしょう。

娘は、息子よりずっと大人で、それだから逆にもっと自分を出していっていいんだと
言ってやらなければなりません。

最近、家のなかで、自分の事を、「おかあは・・・」と言わなくなりました。「私は・・・」と自然に言えるように変わってきました。

子供達が私を超えていく日が待ち遠しいです。彼らが自分の足で歩きだすとき、私は笑って見送れる母になりたい。おかあに負けてなるものかと思われるような母でありたい。

まだまだ、頑張らないといけません。





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