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管理人の徒然
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じゃがいも話更新しました。アラスはベルギーに近いので、ベルギービール系統のビールが作られていたのではないかと妄想してみました。北フランスではブドウ栽培できずワインが作れませんから、アルコールはリンゴから作るシードルやビールになるそうです。ベルギーピールはなかなか味わいがあって好きです。糖質制限者としては、糖質たっぷりのビールは駄目なので、糖質カットの薄くておいしくない発泡酒なんかを飲んでいます。

「アラス ビール」でググったら、ロベス先生の弟のウィキの記事にあたりました。ロベス先生のお母様のご実家はアラスのビール問屋さんだったそうです。思わずへ~!!と思ってしまいました。
 

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久しぶりに子供達を連れて実家に墓参りにいってきました。東京に住む姉もやってきて、母の墓前にお参りし、そのあと実家で昼食会となりました。父と奥さんが朝から一生懸命用意してくれた料理が食卓にずらり。皆で楽しく頂きました。息子は孫唯一の男の子。久しぶりに酒杯を交し、じい様はとてもうれしそうでした。

この二人、さすがに血は争えぬもの、酒好きなところがよく似ています。二人でビール2L日本酒を5合くらい飲んでしまいました。父は今年で81歳になりますが、髪もまだふさふさとはいかないまでもちゃんとはえているし、歯も全部自分の歯で肌の色つやもよく、腰も曲がっていません。ぱっと見はまだ70そこそこにしかみえません。昨今の社会情勢についても、はっきりとした意見を述べるし、あと20年は大丈夫そうだと思わせる元気さです。

しかし、さすがに年齢は81歳なのだし、心や体が弱って来たら聞くにも聞けないだろうということで、万が一の際、葬式の祭官は誰に頼めばいいの?という直球質問をしました。実際、父が信仰している宗教を子供である私や姉は信仰している訳ではないので、ちゃんと父の意思を確かめておかないとその時右往左往することになってしまいます。とりあえず、元気なうちにどうして欲しいのか、意思と思いをしっかり残しておいてほしいと伝えました。

父もおいおいと思ってはいたようですが、とかく男性は見送られることを前提にしている節があるんですよね。
今の奥さんは父親の信仰について理解を示してくれてはいますが、いかんせん、祭祀のことなどわからないし、祭祀権を相続する予定の私としては、その辺、ものすごく重要なわけです。

元気なうちにしっかり人生の最後をどう締めくくってほしいのか、ちゃんと意思表示をしておいてほしいと要請したのです。そうしたら、「ぜひ、頼みがある。」と言い出しました。

「今まで、岩波新書をずーと買い続けてきた。青版・黄版・新赤版と毎月楽しみに買いそろえてきた。今まで買いそろえてきたものは孫息子のSにやる。だから、俺が死んでも買い続けてくれ。」

買いそろえた本を、受け継いでくれというのはわかります。ありがたーく受け取って、状況さえ許せば私が死ぬくらいまではもっていてあげたいとは思います。でも、「買い続けてくれ」とくるとは思いませんでした。びっくり!

年寄りの願いですからねえ・・・・、無碍に断るのも可哀想だし、「じいちゃんの思いはわかった。できるだけ努力はしよう。」と答えておきました。

墓守娘はじいさんの蔵書のおもりまでしなきゃいけないんでしょうか?本マニアもここまでくると呆れます。それも、貴重本の蒐集ではなくて、「岩波新書」というところが泣かせます。

貧乏な家に育った父は、書生として住みこんだお大尽の家で、文化と知識に触れてとてつもない憧れを持っていたのでしょうね。田舎教員の安月給で毎月必ず新刊を買い求め続けて50年。ちゃんと読んでいるようだし、大したものだと思います。これからも元気な限り、毎月新刊を買い続けるのでしょう。

できればあと10年でも20年でも買い続け、読み続けていてほしいと思います。まあ、その後の事は、その時が来たら考えましょう。いやあ~それにしても、そんな執念をじいさんが持っているとは知らなかったです。人間ってわからないものですねえ・・・・。


「だって、知らなかったんだからできなくても仕方ないでしょ。」
よく聞く言い訳であるが、では、知っていたら人は何でもできるのだろうか?

今朝、息子が目玉焼きを食べたいと言い出した。昨晩洗い残してしまった食器を洗っていたので、自分で作るようにと指示を出したら、「目玉焼きの作り方を知らないから、卵焼きをつくる」という。目玉焼きの作り方を知らないはずはない。私には以前教えた記憶がある。しかし、息子の脳みそは、自分に必要ないと判断した事柄はどんどん消去していってしまう構造なのだ。反復させないと、定着しないので、「目玉焼きは簡単なんだから、つくりなさい。」と駄目だし。

フライパンを温め、少量の油をしき、卵を割り入れ蓋をして弱火で適宜熱を通す。
とっても簡単な手順で、こんな手順は小学生だって知っている。

では、実際、息子はどうしたのか。

フライパンを温めるところまでは問題なし・・・・当然である。

少量の油をしく・・・・必要量の倍は入れていた。これは手先のコントロールが大雑把だからだろう。これで実験の試薬の量をちゃんとコントロールできているのか?俄かに心配になる。

卵を割り入れる・・・・・ありえないくらい高い位置で卵を割った為、フライパンの上で卵の黄身は無残にもつぶれてしまった。お前!物理は得意だって言ったじゃないか!なんでそんな高い位置で卵を割るんだ!卵の黄身がつぶれても当然だろう!と叫ぶ。

息子は驚いたように言った。

「高い位置から卵を落とすと、割れるんだって知らなかった!」

位置エネルギーは高くなるほど大きくなるって、学校で習ったはずだ!それなのに、何故わからんのだ~!!

経験によって、知識と実生活は自然に結びつくものだと思ってきたのだが、息子はどうもそういう力が弱いらしい。微分・積分なんかお茶の子さいさいってくらい数字には強いのに、通貨単位がついたとたん計算ができなくなる。生物オタクなのに、真夏に食べ残しを冷蔵庫に入れずカビがはえたと言って驚き、相対性理論を説明するぞと母親に脅しをかけるくせに、高所から卵を落として黄身がつぶれたとびっくりする。

ひとつひとつそういう経験をして、初めて知識と実生活が結びつくという面倒な奴なのである。この傾向はかぴぱら氏にびっくりするほどそっくり。きっと脳の配線がいっしょなのに違いない。

かぴぱら氏は苦労人なので、息子よりはずっと知識と実生活の結びつきはスムーズではあるが、時々とんでもないことを言い出すことがある。育てたのは私で、一緒に育った娘はなんの問題もないのに・・・・・。遺伝子の力恐るべし。きっとこれはかぴぱら氏のY遺伝子だけに乗っている形質なんだろう、だから娘にはでていないんだ・・・と自分に言い聞かせる。

知っているということと、できるということは同じではないのだと思う。
逆もまた言えるかもしれない。できるからと言って、そのことを本当に知っていると言えるだろうか?

知っていると言いながらできないこともある。できても、その本質がわかっていないこともある。

かぴぱら氏と父に似すぎた息子を観察していると、人間の不思議を感じてしまうのであります。





10日ほど不在のはずだったのに、一週間でひょっこり戻ってきたかぴぱら氏。今日はかぴぱら氏のお誕生日であります。水曜日はオフィスのノー残業デーということで、仕事は山積みですが、7時でオフィスから追い出されてしまいます。まあ、今日みたいな日には有難い事です。いそいそと買い物をして家に帰ると、かぴぱら氏はやっぱりご飯を炊いて待っていました。炊飯器の中蓋をはめるのを忘れていたのはご愛敬でしょう。かぴぱら氏の大好きななめこと豆腐の味噌汁、やきサバ、ブロッコリーと豚肉の炒め物、おつまみにチーズやらハムやら出して、二人でビールを飲みながらまったり夕食を食べました。夕食の後、かぴぱら氏にプレゼントを渡しました。

日曜日にデパートの紳士服売り場で、いろいろさがして、これは!!って思ったのですよ。ダイヤ模様の織がある濃紺の地で半そでの袖口と襟元が格子模様のレイヤード仕立てになっています。胸元にチャックのポケットがアクセントになっていてなかなかいい感じだったんです。

早速着てみてもらったら、思った以上に似合っていてかぴぱら氏も気に入ってくれました。帰ってきた子供達も似合うと言ってくれて、ちょっと鼻高々~。濃い色だから多少しまって見えるところもいいみたいです。

かぴぱら氏は今度は国内出張で明日からまたいません。お誕生日に家に帰れてこれて良かったっていうべきなんでしょうねえ・・・・。


土曜日に眼科で視野検査をして、どうにも嫌な感じがしたのです。右目の一部分に靄がかかっているような印象は半年ぐらい前からあったのです。でも、疲れ目かな?とか思い特にきにしていなかったんですよね。でも、人間ドックで異常を指摘されて、やっぱりまずいなあって思ったわけです。視野検査の最中、え?これっておかしくない?とドキッとしました。だって、同じような間隔で光がどこかに見えるはずなのに見えずにスイッチが押せない時間があったのですから。心配は早く解消するに限ると思い、今日はとにかく早退して眼底検査を受けに行きました。瞳孔を開いて眼底の写真をとるのですけど、とにかくこの検査嫌いなんです。眩しいから涙がだらだら出てきてしまうし、気持ち悪くなるんですよ。看護婦さんに励まされながらなんとか検査を終えて、医師から告げられたのは、「緑内障」という診断。右目はすでに四分の一視野が欠けていました。でも、左目の同じ部分を見ている場所にほとんど異常はなく、補完しているので、ちゃんと見えているのです。右目の靄がかかっているいと感じていた部分はやっぱり片方しか見えていなかったからなんだなあ・・・・と、ショックというより、妙な納得感をもってしまいました。

「緑内障」は珍しい病気なわけではなくて、40歳以上の20人に1人が発症するそうです。強度近視も原因の一つと言われているようです。二つ違いの姉もやはり緑内障だし、母親も網膜剥離なんてやっていたから、遺伝的に目に弱点があるのでしょうね。ウィキで調べたら、思い当るような事がいくつかあって、手遅れになる前にわかって良かったなあと思いました。人間ドックを受けていて良かったです。

点眼薬で眼圧のコントロールを試みて、うまくいけば視野狭窄の進行を止める事ができるようです。コントロールがうまくいかない場合は手術という手段もあるとか。50歳を前に、ついに「持病持ち」となったわけです。

私の場合、仕事もあるし、生きる楽しみのほとんどが目を使うものなので、今後の生活について医師に聞いたところ、点眼薬をきちんとさして、それで眼圧コントロールがうまくいけば、タバコと強いストレスを避けるぐらいでしょうとのことでした。飲酒OK、別に目を使う仕事もOKなんだそうです。血行不良が良くないそうなので、これからは少し運動も心がけないといけないようです。

人間年をとれば持病のひとつや二つは覚悟しなければならないものです。一日1回点眼薬をさせばいいくらいのものであれば、ラッキーと思わなくてはいけないでしょう。惜しむらくは、違和感を放置してしまった事でしょうか。姉の場合は、もともと目に別の持病があって、その定期検診の中で緑内障がわかり、早くから治療を始めたので、大きな視野欠損はないようです。

人生の教訓です。普段とどこか違うと感じたら、一応は検査を受けてみる。自分でこれは異常なのだ!と気づくまで放置したら駄目なんですよ。本当は、おかしいと自分は気づいてる。でも、認めたくないという気持ちを人間はもってしまうのだな・・・・・。認めなければ、それがないものになるわけではないのです。認めたら、その問題に対処しなきゃいけない。もしかすると、打つ手がないという現実を突きつけられるかもしれない・・・・・。そう思うと、足がすくんでしまうこともあるでしょう。でも、一方で、私の目のように、今気づいたから手が打てる、という事もあるんです。

「これから、(緑内障と)長いお付き合いになりますけれど、頑張っていきましょうね。」と女性医師は言いました。多分、私よりちょっと若いくらいの方のようです。これから、本当に長いお付き合いになるんでしょうねえ・・・。とりあえず近所で設備整っていそうという事で飛び込んだ眼科でしたが、女医さんでよかったです。

こんな時でも、ベルファンの悲しい性と申しましょうか・・・・、つい浮かんだセリフは「よかった・・・・、気づくのが遅すぎなくて・・・・」でございました。我ながらこれには苦笑い・・・・。

欠けてしまった視野は戻りませんが、今気がつけた私は幸運なのです。40歳を過ぎたら、自覚症状がなくても眼科検診を定期的に受ける事をお勧めします。慢性進行性の病気は早期発見・早期治療により、機能温存が可能です。病院に行かないいいわけを探すより、行ってすっきりする方が絶対いいのですから。
 

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