管理人の徒然
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今週も残業まみれでございました。このままでは8月は残業時間が40時間を越えてしまうかもしれません。次々とやる事が降り積もってまいります。ルーチンとして確立していない仕事や、突発的な仕事と言うのは、ある程度経験が無いとさばくのが難しいので、古株に割り当てられてしまうのは仕方ないのかもしれませんが、そういう仕事が吹き溜まってくると、ルーチン作業を圧迫してくるんですよね・・・・。昼間はルーチン、残業でその他仕事をこなしている事が常態化しつつあるこの頃。かなりよろしくない状態です。
かといって、ルーチン化しているわけではない作業について、人員を張りつけるほど経費に余裕があるわけではないので、上司も増員を渋るんですよね・・・。今いるパートさんにもう少し時間をのばしてもらいたくても、いわゆる130万円の壁を越えて働いてもらうのは、労使ともに相当の覚悟が必要なんですよ。社会保険料を払うとなると実質手取りを増やすには150万位働かないといけなくなるわけだし、会社としては、社会保険料の会社負担分を出さなくてはいけないので相応の負担を覚悟しなくてはならないし。
少子化による労働資源の先細りをなんとか女性活用で穴埋めしたいと政府は思っているのでしょう。しかし、所得税・年金・健康保険の諸制度や、三歳神話、保育園や学童といった共働き世帯に欠かせない施設の不十分さが、女性の就労を困難にしているという現実を変えない限り、無理だと思うですよね。高度成長期の働く夫に専業主婦の妻と子供二人という「標準世帯」はもはや「標準世帯」では無くなっているのに、このモデルから離れられないでいるのはおかしいんですよ。どのような家族形態であっても、未来を担う子供を育てる為に、子供の保護者が人間らしい暮らしを放棄しなければ、子育てを成し遂げられないような社会であるならば、誰が子供を持ちたいと思うでしょうか。
実際に産後6週間の産休明けに子供を保育園に預け、職場復帰し、学童保育に預け、思春期を乗り越え、二人の子供を成人させるまでを経験してみて、強い憤りを感じます。極端な心配性の為に妊娠中から保活に励み、用意周到に準備をし、親戚や知人、地域の友人の手を借りまくり、必死に走りまわっても、それでも常にプレッシャーと戦う日々でした。
生まれて、育って、大人になって、働いて、家庭を持って、子供を産んで、育てて、巣立たせて、老いて死んでいく。
この人間として当たり前の事を、当たり前に出来ない世の中って、何なのだろう?
日本文化や日本の風土を愛していますけれど、この国の制度は、人間の生活の豊かさや幸福を本当に目指しているものなのか、疑問に思います。勿論、あらゆる視点からパーフェクトな制度なんてありえない事は分かっています。でも、少しでも、理想に近づいていけないだろうかと思わずにはいられません。理想なんて、本当のところ、実現できるものではないのでしょう。でも、すっかり諦めてしまうのも悔しいように思います。だから、少しでも前に進むしかないんでしょうねえ・・・。自分が行きつけるところなんて、たかが知れている。だけど、子供達はその先に進めるかもしれない。そう信じて、「後は任せた。頑張ってくれ。」とバトンを渡していくしかないと思うんですよ。
今朝、息子が2年間の留学の為に日本を飛び立っていきました。近くの空港バスの停留所まで送って、そこで見送りました。生活面では、本当に頼りない息子で、心配でたまりませんが、「この2年間で、ちゃんと自分の事ができるように頑張るし、本当にいいチャンスをもらったと思っている。精一杯頑張るから!」と決意表明をして、バスに乗り込んで行く姿は、少し逞しくなったように思いました。自分自身の不安を振り払いたいのか、それとも、心配性の母親を安心させたいのか、息子はバスの窓からお得意の変な顔をして見せていました。
24歳と3日。想定していたより少しばかり遅くなりましたが、なんとか無事、手元から巣立たせる事ができました。地球のどこに住もうと、どんな職業に着こうと、これからは息子自身の選択と責任です。
親とは言え、もう、口出しできないんですよね・・・。
清々しい気持ちと、寂しい気持ちと、ちょっと、嬉しい気持ちがまぜこぜになっています。
明日からかぴぱら氏の帰宅までは娘と二人暮らし。娘との気楽な暮らしをしばしたのしみましょうか・・・。
かといって、ルーチン化しているわけではない作業について、人員を張りつけるほど経費に余裕があるわけではないので、上司も増員を渋るんですよね・・・。今いるパートさんにもう少し時間をのばしてもらいたくても、いわゆる130万円の壁を越えて働いてもらうのは、労使ともに相当の覚悟が必要なんですよ。社会保険料を払うとなると実質手取りを増やすには150万位働かないといけなくなるわけだし、会社としては、社会保険料の会社負担分を出さなくてはいけないので相応の負担を覚悟しなくてはならないし。
少子化による労働資源の先細りをなんとか女性活用で穴埋めしたいと政府は思っているのでしょう。しかし、所得税・年金・健康保険の諸制度や、三歳神話、保育園や学童といった共働き世帯に欠かせない施設の不十分さが、女性の就労を困難にしているという現実を変えない限り、無理だと思うですよね。高度成長期の働く夫に専業主婦の妻と子供二人という「標準世帯」はもはや「標準世帯」では無くなっているのに、このモデルから離れられないでいるのはおかしいんですよ。どのような家族形態であっても、未来を担う子供を育てる為に、子供の保護者が人間らしい暮らしを放棄しなければ、子育てを成し遂げられないような社会であるならば、誰が子供を持ちたいと思うでしょうか。
実際に産後6週間の産休明けに子供を保育園に預け、職場復帰し、学童保育に預け、思春期を乗り越え、二人の子供を成人させるまでを経験してみて、強い憤りを感じます。極端な心配性の為に妊娠中から保活に励み、用意周到に準備をし、親戚や知人、地域の友人の手を借りまくり、必死に走りまわっても、それでも常にプレッシャーと戦う日々でした。
生まれて、育って、大人になって、働いて、家庭を持って、子供を産んで、育てて、巣立たせて、老いて死んでいく。
この人間として当たり前の事を、当たり前に出来ない世の中って、何なのだろう?
日本文化や日本の風土を愛していますけれど、この国の制度は、人間の生活の豊かさや幸福を本当に目指しているものなのか、疑問に思います。勿論、あらゆる視点からパーフェクトな制度なんてありえない事は分かっています。でも、少しでも、理想に近づいていけないだろうかと思わずにはいられません。理想なんて、本当のところ、実現できるものではないのでしょう。でも、すっかり諦めてしまうのも悔しいように思います。だから、少しでも前に進むしかないんでしょうねえ・・・。自分が行きつけるところなんて、たかが知れている。だけど、子供達はその先に進めるかもしれない。そう信じて、「後は任せた。頑張ってくれ。」とバトンを渡していくしかないと思うんですよ。
今朝、息子が2年間の留学の為に日本を飛び立っていきました。近くの空港バスの停留所まで送って、そこで見送りました。生活面では、本当に頼りない息子で、心配でたまりませんが、「この2年間で、ちゃんと自分の事ができるように頑張るし、本当にいいチャンスをもらったと思っている。精一杯頑張るから!」と決意表明をして、バスに乗り込んで行く姿は、少し逞しくなったように思いました。自分自身の不安を振り払いたいのか、それとも、心配性の母親を安心させたいのか、息子はバスの窓からお得意の変な顔をして見せていました。
24歳と3日。想定していたより少しばかり遅くなりましたが、なんとか無事、手元から巣立たせる事ができました。地球のどこに住もうと、どんな職業に着こうと、これからは息子自身の選択と責任です。
親とは言え、もう、口出しできないんですよね・・・。
清々しい気持ちと、寂しい気持ちと、ちょっと、嬉しい気持ちがまぜこぜになっています。
明日からかぴぱら氏の帰宅までは娘と二人暮らし。娘との気楽な暮らしをしばしたのしみましょうか・・・。
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